今日 1日中考えたこと 本能 から始まる
https://www.nhk.jp/p/otonajikan/ts/NY6K8L6ZL4/episode/te/X8M8Z592KN/
https://www.visit-saiki.jp/topics/detail/d043aac0-a056-49e3-942a-284f907c70a3
森林浴は精神的にすごくいいという
問題だったのは
野草茶の人
以前の写真は
少し太ってらっしゃったんですけど
しかも 印象的だったのは
シスターの格好でした
それがこの番組で出てきてすごく可愛らしく美しい人で
そうか
食べるもので 全然違うんだ
しかも
野草というものが
どれだけ大事なのか
人間が自然の草というものが
どれだけ大したものか
今日 ジャストタイミングの
番組です
人々はどうやって生きるか
っていうことを
考えるんですけど
実は私も悩んでいた
どうやって生きるか
自分のような人間は
酸素を吸う人間は
必要ではないのではないか
二酸化炭素ばっかり出して
有害な人間ではないか
っていうふうに
本気で思ってたんです
何で生きてるんだろうって
なんでだ
って
何で自分が生きてもいいんだろうか
って
これは障害者ということだけではなくて
障害者になる前から
そういうふうに思っていた
なぜ自分は生きていいのか
生きてもいいのかな
って
今日
観葉植物を見た時
思った
本能だ
って
観葉植物は本能で生きている
って思った
光を求め
水を求め
土が必要
植物から人間は
学ぶことがいっぱいあって
この一番大事なことを
今日 教えてもらった
そうだ俺は本能 なんだ
本能だから 生きてるんだ
そこから全部
考えたというか
やっとわかった
分かったんだ
俺 生きてもいいんだな
って思った
なぜか
っていうと
これは本能だから
と思ったから
草野心平が
詩の中で
「生理」という言葉が
出てきた
本能とは 生理である
そして考えたことは
ランボーが 詩で書いたこと
「見つけた」
「何を?」
「永遠を」「太陽に溶かす海」
これはもっと
ずっと前に分かった
「言葉なんて覚えるんじゃなかった」
これは田村隆一の詩
これもずっと前にわかった
分からなかったのは
本能がわかってなかった
分かっていたようで
わかっていなかった
本能の上には修飾だけ
チョコレートのベースがあって
上にピンク色の
チョコレート帽子がある
帽子は必要なくても
チョコレートはある
これが本来の醜い状態であり
その後のフェイクは上になる
地面を考えればいい
地下にあるのが根です
地上にあるのが
芽であり茎であり
葉っぱになる
地面の地下と
地上では全く違う
海上と
海の中 下では全然違う
人々は 上ばっかり見ている
1日中 考えたのは
やはり観葉植物ポトスから
私はわかったんだ
植物が本能で
貪欲で生きてるということ
これは生物である人と
全く同じである
食べる やる 寝る
これが本能だ
そこで考えたのは
他の人が腹が減ったやつがいる
空腹の辛さは私にはわかるので
他の人にパンをあげる
ずっと以前 名古屋のこと
乞食に黒川でコロッケをあげた
自分は通り過ぎたけど
もういっぺん戻って
コロッケをあげた
自分はコロッケを
もう1個買うことのゆとりが
あるからだ
伝馬町で乞食がいた
チョコレートをあげた
自分には
チョコレートがあるので
または
他の食べるものがあるから
本当に食べてない人に
チョコレートをあげた
庄内通りで
昼休み 公園で食べていて
やはり乞食がいて
かりんとう を分けた
腹が減っていた乞食がいたからあげただけだ
俺には食べる弁当がある
仕事が終わったら
家に食うものがある
金も持ってるので
コンビニで何かを買って
食えることもできる
けれど
あの乞食は食うものがないのだ
自分が腹が減って腹が減って
しょうがなかったから
多分かりんとうは
やってなかったと思う
なぜか
俺にはゆとりがあったのだ
だったらなぜ
乞食の空腹がわかるのか?
俺が
空腹になったことが
あるからだ
空腹の苦しみは
私でもわかるから
おそらく
他の人も同じだろう
と思って
だからチョコレートや
コロッケやそういったものを
あげたんだ
その時
俺の中で何が起きていたのか
俺の脳の中で何があったのか
そうするには できなかったことがある
思い出した
久屋大通りで100円ローソンで買ってきて
やはり外で乞食がいた
だから同じようなものを買って1個あげた
その中で
俺の脳が何が起きていたのか
本能とは
俺は腹が減ったら食いたい
やりたかったらやりたい
寝たかったら寝たい
寝たいやつを見れば
俺も同じだと思う
寝たいよな
って思うよな?
他のやつは
やりたいとは分からないけど
俺がやりたい時に
やはり
やりたい
と思う
本能が基本です
根本という言葉
それは 根の話です
根源的
根っこの源です
種も同じ
何年経っても持っていても
種を持っていれば
タイミングで季節を決めるで
あったかさと土と水があれば
種が芽を出す
植物においては
巨大な樹木になる
この生物は
人間よりもよっぽどすごくて
フェイクではなくて
本能 なんです
漢字の言葉を考えれば
原理的というのは
「原っぱ」の「生理」
ということになる
言葉は全部わかっている
そういうことがわかってきた
だから自死するというのは
あまり意味がない
なぜか
人間は フェイクばっかりで
脳がおかしくなってしまう
だから
大きな声で言いたいけど
本能で生きればいい
と思っている
脳細胞のシナプスは
これも
パッと分かったのは
言語です
シナプスは言葉です
観葉植物に
「お前は大したもんだな」
って言った時に
観葉植物は
その言葉がめちゃくちゃ嬉しいんだと思う
それは植物が
わかっている
と思う
人間の言葉でも
わかってると思う
草は人間よりも
もっとすごい
人間は
社会性のフェイクばっかりで
だったら
フェイクでもないものが
1個だけある
これは「本能」だけだ
やっとここまで
たどり着いた
本能
本能を肯定しなくてはいけない
本能を否定すると
人間は生きることができない
例えば足が悪くて
遠くから
米を手に入れることができない そういった場合に
ネットで米を注文して
家の中にやってくる人たちがいる
これは本能のために
それを
持ってきてくれる人がいる
これはお金を出すこと
貨幣が交換である
そこまで私はわかった
今日は冴えていると思う
社会の中で
共有するということで
自分が生きる
社会性の中で
みんなで
助け合っていかないと
自分の命が危ない
これは
社会性というよりも
助け合いだけの話
自分一人だけで
生きることが
生理的に絶対に難しい
俺は分かったんだ
やっとわかった
今日
考えたことでやっとわかった
本能だ
他のことはどうでもいい
本能だ
例えば 性欲みたいなものは
ほぼ本能なので
それは正しいと思う
ところが
相手がやりたくない
と思ったら
それで私がやったら
それは犯罪になる
自分が良いからといって
相手も良いと思ったら
とんでもない話だ
これは一番簡単な話
交通する
貨幣のためで
人々は犯罪をやる
バカでやる
人間は本能なので
相手だって生きたい
と思っているから
死んでもらっては困る
こっちもやられてしまうから
もう一つ 領土
植木鉢の中で
2種類の植物を入れたとする
実際に
これは本当なんだけども
2種類の植物を同じ場所で
入った時に
植木鉢の中で
競争が始まる
お互いが戦いながら始まる
生存のためである
これを拡大する
戦争とは
領土の場所を
もっと広げたい
という
こういう 本来の
本能である
領土が広ければ
それだけ 畑ができる
たくさんのものができる
収穫もできる
これは生きるための領土の
争いである
強い生物が弱い生物を淘汰する
これは本当だ これも本能だ
人類は国という場所において
弱い国を潰す
強い国はもっと強くなる
そういうことなんだと思う
自分の DNA を鍛えるために
そして増やすために
強い国は生きている
そういうことを考えていると
これは全部 本能である
だったらなぜ
他の人が腹が減ってたら
飯をあげるか
それは
相手の腹が減った苦しみを
知っていたからだ
腹が減る
ということが一番大きいね
性欲においては
人によっては違ってくるから
難しい
睡眠も勝手に寝てればいい
ところがなぜ
猫が小さなネズミかなんかを
一緒に寝てる場合が
今はある
現代の猫は
いくらでも
食えるものがあるから
そうやって一緒にネズミと
暮らす
一緒に寝る
なぜか
あったかい
からである
体温が
あったかいからである
体の構造の中では
冷えは一番危ない
生きるためには
冷えが危ない
だから違う
生物であっても
皮膚感覚で
あったかくしたいと思っている
だったら
なぜ美しい人を見ると
快いのか
これは綺麗なものを見ると
快楽がある
本能
本能の次には 言語があり
知識が始まり
生物と生物の共有が始まる
そうでないと
自分が危なくなる
命が危なくなる
だから嫌でも
一緒に暮らしていく
本当に嫌だったら違う
仲間を探す
同じようなものを見れば
安心する
違うものを見れば緊張する
時には攻撃する
人の言葉で傷つく
これはまた
私の言葉で 誰かが傷つく
だから私の言葉で
人を傷つけないように
暮らすのが社会の共有です
常識ではなく共有意識です
殴られたら殴られる
だから 殴らない
当たり前の話だ
今日
いろんなことがわかってきた
人という生物と
ポトスという生物
植物と全く同じである
彼らの方が
人間よりももっと賢い
ずっと前から
ルッキズムについて考えている
なぜ美しい人を見るといいのか
これは快楽です
美しい人を見ると
遺伝子を交換して
良い子供になるように
という場合もある
セクシーがある人は
やはり やりたいと思うので
当然そこで交尾したいと思う
しかし 美しい人っていうのは
遺伝子の
交換ということではなく
見た目で快楽があるからです
不愉快の反対語は
愉快なんて言う
不快である
だったら不快の反対語は何か
「快」
が
本当の反対語です
なのに
ここで不快の反対語が
愉快となるのか
愉快の「愉」と必要はない
快
だと 語呂が悪い リズムの言葉数
たったそれだけのことで
語呂が変わるだけで
間違っている
女性の場合パートナーを選ぶのは
経済的なものと背の高い人と
ルックスがいい人だ
経済的とはまず
自分の食べ物があり
家が必要であり
子供ができれば
それができるようなだけの
家と食べ物と
寒さの時に
あったかいようにするように
設備が必要になってくる
子供が育つために
メスはオスに必要をする
メスがオスの利用とは
お金を持ってくるものであり
自分が生きるためだ
背が高いというのは
家族以外の人から
暴力的に守る人間が必要である
体の大きい人も同じ意味
守るためには
腕力でも必要なオスが必要である
オスがメスに必要なのは
丈夫な子供を産むためである
男は女性のおっぱいとお尻を見る
女性は男の体の大きさと
背の高いところを見る
ルックスにおいて
快が必要になる
不愉快愉快の世界の話であり
不快かそうでないのかが
問題である
そうだからと言って
ルックスが悪くても
例えば優しい人
安心させる人
安心して暮らす 相手であること
あれも必要
優しさなんていうのは
曖昧なので
ルックスで
快があるかどうかである
結局自分のことです
全て自分のことです
小説を読んでも映画を見ても
テレビを見ても音楽を聞いても
歌を聞いても
そこに自分を探すのが一番
自分を必死に探すだけ
自分に似た人を探すだけ
自分をほっとしたい
と思ってるだけ
全ての人が
自分のことのみを考えて
生きていくためである
本能は正しい

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