宮沢賢治のこと
宮沢賢治のことを少し書きます
40年ぐらい前の話
テレビ『知ってつもり!?』で
司会者は関口宏、水野真紀の時でした
宮沢賢治特集
『雨にも負けず』『銀河鉄道の夜』
ぐらいは聞きました
しかし 内容はわからなかった
番組を見た後
落涙したのはなぜだったろう
番組の作り方が良かったんだと思う
そこから 宮沢賢治が始まりました
詩や童話を ブチブチ 読んでいて
岩手の花巻にも行くことがあって
宮沢賢治館にも行きました
問題は『銀河鉄道の夜』
長い小説ですし めんどくさい
アニメを見ました まだ2025年の話
変な言葉だ
それで名古屋の日泰寺の本殿で
この額があったのです
それから これは南無釈迦牟尼仏
これをしばらく考えて調べていました
十あたりの文字は
何かちょっと合ってない
そこで 色々調べていて。
「あ」
これは……
運ですね
私が一番 調べたかったことは書いていた
《
夏休みの自由研究
2018-08-31 17:16:28
テーマ:ブログ
夏休み、終わってしまいましたね。
みなさんは夏休みの宿題はすぐに終わらせた派ですか?わたしはぎりぎりまで始められない派でした、、、。
自由研究も読書感想文も、何をどうすればいいのか分からなかったので大っ嫌いでした。
中学生のときに読書感想文に選んだのは『銀河鉄道の夜』です。
意味はよく分からなかったのですが、賢治独特の世界観や雰囲気が好きだったので選びました。でも感想文にはものすごく背伸びをして死生観などを書いた気がします。
仏教のことや賢治の思想が深く反映された作品なので、大人になってから読み返しても難しいんですよね、、、。
今日の記事は、わたしの今年の夏休みの自由研究です(笑)
かなり長いので、お暇でしたらお読みください。
銀河鉄道に乗っていたジョバンニは、車掌に「切符を拝見します。」と言われて慌てます。切符に関係なく乗車していたからなのですが、上着のポケットに知らないうちに入っていた緑色の紙切れを出したら、どうやらそれはどこまでも行けるすごい切符だった、というシーンがあります。
「それはいちめん黒い唐草のような模様の中に、おかしな十ばかりの字を印刷したもの」なのですが、高校生のときに読んだ本でその「十ばかりの字」とは一体何なのかが謎らしいと書いてあったのを思い出しました。
賢治は法華経にはまっていた時期があり、『南無妙法蓮華経』だろうというのが多くの研究者の見方でした。ただ、それだと七文字なんですね。なぜ「十ばかり」という表現にしたのかと問われると、七文字と限定してしまうと、あまりにもあからさまだからではないか、という説明になっていました。
それにわたしは納得できなかったのですが、今になってピンと来るものがありました。
スマホでWikipediaの『妙法蓮華経』の項を調べてみたら、サンスクリット語で『妙法蓮華経』がぴったり十文字なんです!
(「南無」は「帰依します」という意味なので、省略できると考えました。)
わたしは賢治のちゃんとした研究をしたことはないのですが、あの時代にエスペラント語を勉強していたぐらい探求心のある彼のことなので、精通していたとはいわないまでも、知識としてサンスクリット語に触れていた可能性はあると思います。
『手紙四』という作品のなかで、「ほんたうの幸福をさがさなければいけない。それはナムサダルマプフンダリカサスートラと
いふものである。」という記述があります。この片仮名の呪文のようなものが、『南無妙法蓮華経』のサンスクリット語がなまったものだと思われます。
Wikipediaで調べると、サンスクリット語では「ナモサッダルマプンダリーカスートラ」だそうです。近い!わざと少し変えたのか、聞き取れなかったのか、そういうふうに習ったのかは分かりませんが、賢治が法華経について深く勉強していたことは確かだと思います。
他に何か考えられるものはないかと思い巡らせると、サンスクリットよりも日本で親しまれていた梵字を思い出しました。
梵字で『南無妙法蓮華経』は十一文字でした。
そして、もうひとつ、十文字ぴったりになるものがありました。
それは、サンスクリットを意味で翻訳するのではなく、音を漢字で表した「音写」です。「南無」を省くとちょうど十文字です!サンスクリット語よりも、こっちのほうが可能性が高いですね。
漢字、サンスクリット語、音写を並べて書いてみました。小さくて汚い字ですみません。
(梵字は難しくて書けませんでした。ちなみに梵字は縦書きです。)
すごい発見をした気になっていましたが、ちょこっと調べたくらいでこれだけ分かるなら、多分もう誰かが指摘しているだろうなとも思い始めました(笑)
ところで、賢治はなぜ「十ばかり」という表現をしたのでしょうか。それがひっかかります。
「七文字」と書くとあからさまだからぼやかしたというのはやはり納得できないし、十文字ぴったりの音写であるのなら、なぜ「ばかり」としたのかが分かりません。
わたしはここにひとつの結論を出しました。
『南無妙法蓮華経』は漢字では七文字、サンスクリット語では十二文字、梵字では十一文字、音写では十二文字です。中身、意味は同じです。意味は同じだから、このうちのどれでもいいよ、あなたの知っている字、あなたが読みやすい字で唱えなさい、という意味で「十ばかり」という表現になったのではないでしょうか。
これはわたしの勝手な妄想ですが、賢治は自分の作品が翻訳されて世界中で読まれることを夢見ていた気がします。賢治の作品の登場人物の名前も、日本人離れしたものが多いし、エスペラント語を勉強したのも、そういう想いから来たものではないでしょうか。世界中の人に読んでもらい、法華経の教えを広めたかったのだと思います。
そもそも『銀河鉄道の夜』は西洋文化圏、キリスト教文化圏の人に向けて書いたのではとわたしは考えているのですが、これを読んだ人それぞれが知っている字、分かる字、これから初めて触れる字から連想できるように、漢字から入っても、サンスクリットから入っても同じ教えである法華経の題目を「おかしな十ばかりの字」と表現したのだというのがわたしの結論です。
賢治の研究も、仏教の研究もきちんとしたことがないので、間違っているところ、もう誰かが指摘しているよ、というところもあると思います。思い付きとぼんやりした賢治のイメージとスマホで調べただけの内容ですみません。
長々と書いてしまいましたが、最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。
以上が、わたしの今年の夏休みの自由研究でした(笑)
》
この文章を読んで ドキドキしました
びっくりしました
1年弱前の去年の11月。
『小林ブルー美由紀』。名前でした
調べると
X にあった
小林さんは詩人です
加えて見事な論文でした
小林さんが書いているのは
2018年のものです
🌿
そして あれから1年
NHK E テレの「こころの時代〜宗教・人生」2026年7月6日 宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』ファンタジーに秘められた 宗教 第4回
を見ました
これでぴったりした
今 書くしかないと思った
これもスクリーンショット
NHK テレビからです
ジョバンニも カムパネルラの語源も分かりました
そして 前から知っていた
人物が出てきました 驚いた
斉藤宗次郎 クリスチャン
研究者は指摘してますけどもしかしたら デクノボーのモデルではなかったのかもしれない
と発言したのは宗教学者の
山折哲雄(私に初めてアニミズムを教えてくれた人)でした
斉藤宗次郎に作品を見せていたと思います
銀河鉄道の夜も見ていたのか見ていないのかは分からない
銀河鉄道の夜は斉藤宗次郎に読んでほしいと思ったのかもしれません
宮沢賢治の名前をつけた星があるらしい
しかし 宮沢賢治をどう書いたらいいか
小林さんも発言していますが
宮沢賢治の研究者はものすごくいる
だったらどっから行けばいいのか?
宮沢賢治は何をやっても深くて広い
「宮沢賢治は爆弾だ」ー 母
「宮沢賢治に話すと長くなるよ」ー父は土壌学から入りました
私は言葉から入りました
ジャンルでもそれが重なってるので
多重学になってくる
斜めからくる
たくさんの方法から入ってくる
映画『銀河鉄道の父』も観ました
俳優が素晴らしかった 監督の
ロマンティックに逃げていないのが素晴らしかった
宮沢賢治という名前を出すだけで
言霊として強くなる
宮沢賢治という名前は仏様の名前だと思う
この40年
今でも 宮沢賢治を考えています
思っています





















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