詩 『Sさんへの長い手紙』





『Sさんへの長い手紙』


この事件はとても大きい
心理の問題です

冷静に考えてみます
九州だったか
山の中で10代の女の子の遺体が
発見されました
容疑者が逮捕された
時間軸で考えれば
10代の女の子の遺体は
発生した
メディアが動かない
写真が あるか ないか

ところが京都の男の子の問題
1ヶ月前から
男の子が行方不明
写真が出た
ここでリュックが出た
ここで靴が出た
ここで遺体が出た
ここで容疑者が逮捕された

この1ヶ月は 物語です
九州の女の子の時間軸は短い
京都の男の子の時間軸は長い

ワイドショーを見る人たちは
これはどうなっているんだろう
推理していく

物語作家は例えば 村上春樹
心象のことを 文学として書き
読み手のわくわく感を
どうさせればいいだろうか
村上春樹は推理小説手法を導入した

他の物語でも
京都の物語は容疑者によって または 警察の調べとともに
1ヶ月全国の人々がこれはどうなんだろう
と引っ張った

答えは容疑者の殺害です

11歳の心理と周りの心理
と考えますけど
物語の中に
おそらくあのお父さんではないか
推理小説と同じです
心理と推理が勝った事件は
それを わくわく見ていた人たちもたくさんいる  私もまた1人

今でも あの事件はどうなっているのか
容疑者が全部発言しているのに
警察はその裏を調べている

嘘の SNS 
例えば台湾人とか24歳とか
デマも含めて物語は深くなる

ここには人種差別があり
若い男と子供の母親との恋愛
シングルマザーへの偏見
それだけでも物語は拡大する

小説家は嫌というほど
物語が面白ければ面白くほど
この事件を注意する

表層的なものと時間軸の問題で
こういうことを考えるのです

そして問題は11歳の子供が亡くなってしまったこと
未来を失ってしまったこと
それは交通事故や
地震で亡くなった人
それもまた未来を失ったことは同じです
なぜ 京都の11歳の少年の物語になってしまったのか

大事なのは1ヶ月前からの物語が始まっている

そして小説家は
冷静に物語作家としてそういうものを見なければいけないと思います

心の問題は前も書きましたけど
結局それも自分のことである こと

子供達がどうしてこうなるのか どうやったらいいのか
そう考えた時点で
実は自分のことをどうするのか
の問題になる

子供達の問題ではなく自分の問題 なんですね

公共のために どうしたらいいのか
これは実際として母の子供として母親の又は父親の心の動きは自分の問題となってくる

事件は殺害の場合は
ほとんどが 男が加害者 女性は被害者
腕力の問題があるけれども
女性から女性に殺害することはない ほとんど

80%以上は男が女を殺害する
京都の問題は11歳という弱い立場の人に強い立場である容疑者が
殺害する

生物学的で考えれば
テレビでもいろいろ出てくると思いますけど
新しいお父さんが出てくると
その子供を殺害してしまう
ライオンやカバは
子供がいるメスが発情しないと
子供を殺害してしまう
そしてまた発情して
交尾が始まる

生理科学として考えることと
文化として考えること
表現と言うのだけれど
例えば 中原昌也の対談タイトルで
『表現とは罪を犯すこと』
とストレートに書いてますね

どんな形であっても
私たちは書かなければいけない
言葉を書かなければ
私たちだって命が危なくなることがある

表現しなければ自分の命も危ない これは本当です

宮沢賢治の童話『よだかの星』

鷹が羽虫をたくさん食べなければ自分は生きていけない
鷹は生きている羽虫の命を
取ってしまう
そこの矛盾が胸に宿ってしまう
生きなければ殺さなければいけないし
殺さなければ私はしなくてもいい
と自分がおのずから命を取ってしまう
そういう大矛盾の中で
よだかは星となっていく
これはバックボーンは仏教です
他の宗教 例えば イスラム教でも
あまり生物を食べたくない 考え方

命とは何か
小説家として柳美里は若い時からそういう問題をやってきた
鬼のような顔の柳美里が
仏の顔になったのは
Sさんから教えてくれたのです
柳美里がクリスチャンになった
神様の顔になった
表情が変わってしまった

信仰とは一体何なのか
普遍の命の考え方
私もまたそれを考えるのではなく
行為として手を合わせることです

親鸞とは『行』ではなく『信』であると去年の夏 私は勉強会でそういうものを学びました

行ではない
修行ではない
何を食べてもいいし 結婚してもいいし 恋もしといてもいいし
それでも仏様を信じている

修行があっても
心の中で本当の仏様を見ることがあるかどうか

京都の事件はあまりにも大きい 問題を含めています

表現者たちは罪であれば
それでもいいのだ
自分が罪を行うのと同時に
自分が生きるために
小説家となって
肉を食べて
結婚 恋をして
そして生物が終わっていく

自分の欲望とは一体何なのか

「なんかいいことないかな」

何かいいことがあるというのは限りがありますね

だったら自利利他で他の人が幸せな気持ちになるような行為をすれば
自分の幸福は 無限となると考えております

京都の11歳の男の子のために
ある意味では私たちは
今呼吸をして
生きています
11歳の男の子はもう 命を失い 呼吸はしていない

この狭間で
私たちは苦しみながらも
楽しく生きていく
そういうところまで考えさせてしまう事件です 今でも同じです 今でも考えている
3月23日から一ヶ月 今




 

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